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指導員 安井尚志が発案

SDガンダムに関わりがあったバンダイの社員に指導員という肩書きを付けることを発案したのは、超戦士ガンダム野郎の原作を担当した安井尚志だった。1988年12月15日に発売されたコミックボンボン1989年1月号にて超戦士ガンダム野郎の第1話が掲載されて、肩書きを付けたキャラクターがスタートした。
メモ 川口克己に問い合わせて、川口名人という呼称の初出は超戦士ガンダム野郎の第1話だった記憶があるとの情報を得た。

kodansha comic bombom 1991 08 01

コミックボンボン1991年8月号の超戦士ガンダム野郎にて、小宮山指導員がMS少年的になる絵が掲載された。
メモ 小宮山指導員は、当時ホビー事業部(ホビー部)に所属していた小宮山善一
メモ 超戦士ガンダム野郎は変な内容の漫画だったが、児童には人気があったらしい。
メモ 長谷川指導員と奥田教授の場合、土田名人の場合。


画伯 レイアップの社員が発案

横井孝二がデザイン会社のレイアップに勤務していた時に、他の社員が横井孝二の様子を見て画伯と渾名した。暫くして、バンダイの模型情報や講談社の出版物にて横井画伯という呼称が用いられて、大衆に広まった。
メモ 横井孝二がレイアップにて画伯と呼ばれた経緯は、スーパーディフォルメガンダムワールドを企画開発した佐々野雅哉に問い合わせて情報を得た。

kodansha comic bombom 1991 05 01

コミックボンボン1991年5月号の超戦士ガンダム野郎にて、横井画伯というキャラクターが掲載された。
メモ コミックボンボンコミックスでは、第6巻にて掲載された。
メモ 横井画伯という呼称はバンダイと講談社が広めた為、広めた側が通称 横井画伯という言葉を用いると印象操作になってしまう。通称という言葉には世間一般で呼ばれている名称という意味がある為、横井画伯という呼称が大衆から発生して広まった印象を与えてしまう。