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ガシャポンからスタートしたSDガンダム

アニメのガンダムシリーズに登場するロボットを可愛くデフォルメにしたSDガンダムは、30年以上続いているバンダイの人気ブランドになっている。

SDガンダムの最初の製品、スーパーディフォルメガンダムワールドが企画された時にデザイナーとして起用された横井孝二は、その時はまだ高校生だった。



インターネットが無かった時代の出来事

模型情報の読者参加ページにて、横井孝二が投稿した絵が度々掲載された。

bandai mokei jowhow 1981 11 01

1981年10月25日に発行された模型情報1981年11月号にて、機動戦士ガンダムのグフの絵が掲載された。この時は13歳の中学2年生だった。ペンネームは鳥山劣にしていて、尊敬する漫画家の鳥山明の姓と、鳥山明よりも劣る存在として、名を劣にしていた。
メモ 横井孝二の誕生日は、1968年3月12日。ペンネームの鳥山劣は、とりやまおとると読む。

bandai mokei jowhow 1982 03 01

1982年2月25日に発行された模型情報1982年3月号にて、鉄人28号の絵が掲載された。この時は13歳の中学2年生だった。

bandai mokei jowhow 1982 04 01

1982年3月25日に発行された模型情報1982年4月号にて、機動戦士ガンダムのズゴックの絵が掲載された。この時は14歳の中学2年生だった。
メモ 横井孝二の誕生日は、1968年3月12日。4月から中学3年に進級。

bandai mokei jowhow 1982 05 01

1982年4月25日に発行された模型情報1982年5月号にて、機動戦士ガンダムのMS-06RザクIIの絵が掲載された。この時は14歳の中学3年生だった。

bandai mokei jowhow 1982 07 01

1982年6月25日に発行された模型情報1982年7月号にて、ドクタースランプのリブギコとキャラメルマン1号の絵が掲載された。この時は14歳の中学3年生だった。

bandai mokei jowhow 1983 01 02

1982年12月25日に発行された模型情報1983年1月号にて、ザブングルの旧式ホバギーとレッグをデフォルメにした絵が掲載された。この時は14歳の中学3年生だった。鳥山明が描いたドクタースランプの世界に馴染みそうな雰囲気がある。

bandai mokei jowhow 1983 02 02

1983年1月25日に発行された模型情報1983年2月号にて、ダンバインをデフォルメにした絵が掲載された。この時は14歳の中学3年生だった。

bandai mokei jowhow 1983 06 01

1983年5月25日に発行された模型情報1983年6月号にて、幻魔大戦のベガをデフォルメにした絵が掲載された。この時は15歳の高校1年生だった。

bandai mokei jowhow 1983 07 02

1983年6月25日に発行された模型情報1983年7月号にて、ザブングルのギャロップの上にザクの頭を描いた絵が掲載された。この時は15歳の高校1年生だった。

bandai mokei jowhow 1983 12 01

1983年12月1日に発行された模型情報1983年12月号にて、メカニコングをデフォルメにした絵が掲載された。この時は15歳の高校1年生だった。

hobby japan 1983 01 01

横井孝二は、模型専門誌のホビージャパンにも絵を投稿していた。1982年12月25日に発売されたホビージャパン1983年1月号にて、映画のキャラクターをデフォルメにした絵が掲載された。この時は14歳の中学3年生だった。
メモ 掲載住所は現在は会社が建っている為、加工せずに当ページに掲載した。

takara 3d journal no.3 01

横井孝二は、玩具メーカーのタカラにもさりげなく自己PRしていた。1984年2月20日に発行されたデュアルマガジン別冊3Dジャーナル創刊2号にて、チョロQボトムズのプレゼントが行われた。横井孝二は葉書に絵を描いて応募した為、1984年4月20日に発行された同誌第3号にて応募時の葉書が掲載された。応募時は15歳の高校1年生、掲載時は16歳の高校2年生だった。
メモ 掲載住所は現在は会社が建っている為、加工せずに当ページに掲載した。
メモ チョロQボトムズは1984年3月に発売されて、チョロQゴーグは1984年6月に発売された。
メモ チョロQダグラム、チョロQボトムズ、チョロQゴーグ、チョロQガリアンの箱絵と、デュアルマガジン別冊3Dジャーナル創刊2号の表紙にて掲載されたデフォルメのスコープドッグの絵は、加藤隆治=狩那匠が描いた。チョロQガリアンの箱絵についてはラフを加藤隆治が描いて、クリーンナップと彩色は他の者が担当した。加藤隆治に問い合わせて、情報を得た。
メモ 1984年1月20日に発行された3Dジャーナル創刊号にて、スコープドッグをデフォルメにした絵が2点掲載された。しいばみつおと小出拓が描いた。
メモ タカラから発行された3Dジャーナルは、バンダイから発行された模型情報から着想を得ていることが考えられる。
メモ 3Dジャーナルにて記載している発行日は、発売日を意味している。


バンダイ静岡工場の技術部デザイン課にて制作された模型情報

静岡県にあったバンダイ模型は、バンダイの子会社として1971年5月に設立された。
メモ 1969年に倒産した今井科学の清水工場と設備をバンダイが買い取り、グループ会社にした。

模型情報は、プラモデルの箱や組立説明書を制作していたバンダイ模型の技術部デザイン課が発行していた月刊情報誌で、同課にいた加藤智が編集していた。サイズや雰囲気は田宮模型のタミヤニュースから着想を得ていて、さらに右開き、縦書き、軽い文体は平凡出版の雑誌POPEYEから着想を得ていた。模型情報というネーミングをしたのも、加藤智だった。
メモ 加藤智は、1975年にバンダイ模型に入社した。

bandai mokei jowhow 1983 04 01

1983年3月1日にバンダイ東京本社はバンダイ模型、バンダイ工業、バンダイ出版、バンダイオーバーシーズ、ポピー、マミート、セレンテを合併して、バンダイ模型はバンダイ静岡工場という部署名になった。そして営業を担当したバンダイ東京本社の模型部は、ホビー事業部という部署名になった。
メモ 1983年3月に、ホビー事業部、ポピー事業部、特機事業部、マミート事業部、セレンテ事業部、レミー事業部、エレクトロニクス事業部が組織された。8月にアパレル事業部が追加されて、さらに新会社AE企画が設立された。

bandai mokei jowhow 1983 04 02

模型情報の裏表紙にて記載している発行日は発売予定日を意味していて、発行日に発売されたこともあれば数日違いで発売されたこともあった。

模型情報の誌面にて編集部という呼称が用いられたが、1985年に安蒜利明が入社して模型情報に配属されるまでは、加藤智が1人で編集していた。模型情報の発行部数が多くなると、雑務担当として女性社員が1人配属された。そして安蒜利明が配属された時には女性社員は2名いて、編集部はパーテーションで仕切られた空間になっていた。
メモ 最初に配属された女性社員の青山弥生は、模型情報1984年12月号と1986年12月号にて写真が掲載された。その後に追加された女性社員の件は、バンダイ静岡工場にいた外岡仁に問い合わせて、情報を得た。
メモ 加藤智が1人で模型情報を編集していた件は、モデラーだった秋山徹郎と、漫画家の北崎拓に問い合わせて情報を得た。
メモ フリーライターを起用して、構成を任せていたページもあった。


横井孝二の絵に変化あり ! 模型情報が横井孝二を起用

横井孝二は杉原昌子と同時期に、模型情報に起用された。きっかけは、横井孝二が製作に関わった同人誌を模型情報に投稿したことだった。

鳥山劣個人集改訂版第一刷05-

同人誌にて掲載された漫画に興味を持った加藤智は横井孝二に電話して、模型情報にて4コマ漫画を連載することになった。
メモ ボトムズの漫画は、模型情報には掲載されなかった。横井孝二が発行した同人誌√O-BOX鳥山劣個人集にて掲載された。

bandai mokei jowhow 1984 03 03

1984年3月1日に発行された模型情報1984年3月号にて、4コマ漫画の第1回目が掲載された。この時は15歳の高校1年生だった。

4コマ漫画にて描かれているダンバインは、関節の可動を気にせずに極端に縮めて、横幅がありぽっちゃりしている。

bandai mokei jowhow 1984 03 04

模型情報1983年2月号と1984年3月号の間には、1983年7月9日に公開されたアニメのチョロQダグラムがある。この点から横井孝二はアニメのチョロQダグラムから着想を得て、デフォルメのバランスを変えたことが考えられる。
メモ 横井孝二に関連した記事は、どれも鳥山明の作品から影響があったことを記載している。しかし情報を遮断した場合を除いて、創作者は様々な創作者の作品から影響を受け続ける。横井孝二はチョロQボトムズのプレゼントに応募していて、情報は遮断していなかった。横井孝二が発行した同人誌√O-BOX鳥山劣個人集にて掲載されたメカゴジラの絵も、1983年12月末に発売されたチョロ獣メカゴジラの絵から着想を得ていることが考えられる。
メモ 横井孝二はアニメのチョロQダグラムの公開以降に、頭が大きく胴体と脚が極端に短いデフォルメのロボットの絵を多数描いた。
メモ 横井孝二は、鳥山明が1981年に描いたズゴックから影響を受けた様子は見られなかった。そして鳥山明は関節の可動を気にしていたのか、箱状の人型ロボットは極端に縮めるデフォルメはしていなかった
メモ 横井孝二はまだ15歳の高校生で、創作活動の経験年数は少なかった。現在の横井孝二と、14歳~15歳時の横井孝二を同等に解釈してはならない。
メモ 横井孝二に問い合わせたが、返答は得られなかった。

choro q dougram01

チョロQダグラムは、場面ごとにデフォルメのバランスが異なる。その中で、関節の可動を気にせずに極端に縮めて、横幅がありぽっちゃりしている絵が、横井孝二が4コマ漫画にて描いたダンバインの雰囲気に近い。スタジオ・ライブの松下浩美は、チョロQダグラムのメカ設定画にてダグラムの腕と脚を少し長めにして描いたが、原画を担当したスタジオ・ライブの誰かが、可愛くアレンジして描いてしまった。

ドキュメント太陽の牙ダグラムパンフレット01

ドキュメント太陽の牙ダグラムパンフレットにて掲載された、アニメのチョロQダグラムに登場するラウンドフェイサーの設定画も、頭が大きく脚が短いデフォルメにしていて、横井孝二が4コマ漫画にて描いたダンバインの雰囲気に近い。
メモ ロボットの各パーツが密着していても、アニメーションの場合は原画担当者と動画担当者がぬいぐるみ的に曲げる方法で処理する為、問題にはならない。
メモ ゼネラルプロダクツの包装紙にて掲載されたデフォルメのロボットの絵は、アニメのチョロQダグラムから着想を得ていることが考えられる。住所が桃谷1-5-22になっている為、1983年末から1984年末の間に印刷されたことが考えられる。
メモ 1984年4月にタカトクトイスから発売された超時空要塞マクロスのバルキリーをデフォルメにしたパロメカは、チョロQダグラムから着想を得ていることが考えられる。1983年8月頃に企画が立ち上げられて、当初の製品名はバルチョロにしていた。
メモ 1985年にバンダイのポピー事業部から発売されたひょうきんもびるすーつの箱の裏面にて、デフォルメのガンダムMk-IIの絵が掲載された。デフォルメのバランスは、アニメのチョロQダグラムから着想を得ていることが考えられる。
メモ 現代の様々な創作物の表現は、過去の創作物の積み重ねで成り立っている


バンダイ静岡工場の技術部開発課にて企画開発されたロボチェンマン

1983年前期、バンダイ東京本社のホビー事業部とバンダイ静岡工場が参加した企画会議にて、機動戦士ガンダムに登場するロボットをデフォルメにして製品にする企画が立ち上げられた。社内ではデフォルメに対しての否定的な意見は無かったが、前例が無い案だった為に試作段階で中止になった。この時の試作物はロボットの頭を大きくした、無難なデフォルメだった。
メモ ロボチェンマンの開発についての細かな状況は、1982年にバンダイ模型に入社して、現在は玩具企画会社のスタジオジンを経営する外岡仁に問い合わせて、情報を得た。
メモ バンダイ静岡工場にいた岸山博文は、1/144の胴体に1/60の頭を付けたザクの試作物を見たことがあった。
メモ 1982年6月1日に発売された別冊コロコロコミック1982年第8号にて、RX-78ガンダムのプラモデルをオガンダムに改造した記事が掲載された。1/144の胴体に、1/60の頭を付けていた。

企画会議から数ヵ月後の1983年7月9日にアニメのチョロQダグラムが映画館にて公開されて、同年10月頃にプルバックゼンマイを内蔵したフィギュアがタカラから発売された。この時期に再度の企画会議にて、チョロQダグラムに対抗するデフォルメ製品をプラモデルで発売することが決定した。バンダイ静岡工場の技術部開発課にいた外岡仁は、日本サンライズのロボットをチョロQダグラムを参考にして極端に縮めて、さらにプルバックゼンマイを内蔵したロボチェンマンを開発した。
メモ 上記2つの企画会議は、静岡工場にて行われた。ホビー事業部営業課から約10名、静岡工場の技術部開発課から約5名が参加した。
メモ 外岡仁は、プラモデルになっているロボチェンマン、パロチェンマン、カワルドスーツ、完成品フィギュアになっているあそボットの全てのキャラクターをアイディアスケッチから三面図までを担当した。テクトロンセンサロボのロックンロボベートーベンも外岡仁がデザインして、ロックンロボ禁断の惑星のロビー・ザ・ロボットから着想を得ていた。
メモ この時期の外岡仁の上司は松本悟で、外岡仁が描いたアイディアスケッチをチェックしていた。松本悟は1970年にバンダイに入社して、1971年にバンダイ模型に配属された。
メモ ブリキのアトミックロボットマン、プラモデルのファイアーマンやじょうだんロボットのジョギングマン等のように、ロボットの名称に男性を意味するMANがネーミングされることがある。
メモ チョロQダグラムのフィギュアの発売日については、1983年11月20日に発行されたデュアルマガジン別冊3Dジャーナル創刊準備号にて発売済みになっていた為、10月頃に発売されたと判断した。フィギュアの写真は、1983年9月30日に発行されたデュアルマガジン第6号1983年AUTUMNにて掲載された。

bandai mokei jowhow 1984 11 02

1984年5月17日に開催された第23回静岡プラスチックモデル見本市にてロボチェンマンの見本が6種類展示された後、1984年7月にウォーカーギャリアとバイファム、同年8月にエルガイム、同年9月にガンダムフルアーマータイプとビルバイン、同年10月にMS-06RザクIIが発売された。
メモ ビルバインは9月に発売されたが、ガンダムフルアーマータイプは10月に発売されたことも考えられる
メモ 各小売店に配布されたロボチェンマンのプライスカードは、バンダイが制作したことが考えられる。
メモ 1984年6月にホビー事業部の担当でハイコンプリートモデルのガンダムフルアーマータイプ、MS-06RザクII、バイファムが発売された。

bandai mokei jowhow 1984 11 02--

各キャラクターによりデフォルメのバランスは異なり、中でもガンダムフルアーマータイプはSDガンダムの第1号製品とも言える雰囲気になっている。
メモ ガンダムフルアーマータイプの脚を短くすれば、スーパーディフォルメガンダムワールドに近い雰囲気になる。
メモ 1985年1月29日に開催されたバンダイフェア用の特機事業部のカタログにて、ロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプから着想を得ていることが考えられる銀色の試作物が掲載された。ガシャポン製品を企画開発していた特機事業部自販課は、ロボチェンマンの表現を取り入れようと模索していたことが考えられる。
メモ ロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプは、1983年内には試作物の走行テストを行っていた。

bandai robochanman silver box01

銀色の箱絵を描いた人は分からない。各ロボットの絵は製品本体を参考にして、バランスを整えている。

bandai robochanman gundam02

ガンダムフルアーマータイプの箱絵は、SDガンダムの第1号製品とも言える雰囲気になっている。
メモ ガンダムを2頭身にして、白銀比よりも縮めている。
メモ 1984年12月10日に発売されたマイアニメ1985年1月号にて、RX-78ガンダムとゴーグとバイファムを約2頭身にデフォルメにした絵が掲載された。RX-78ガンダムのデフォルメのバランスは、ロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプの箱絵から着想を得ていることが考えられる。いくざわのぶこ=九月姫が描いた。

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MS-06RザクIIは、頭と胴体の幅を製品本体よりも狭めている。

bandai robochanman walker gallia01

ロボチェンマンの組立説明書は、バンダイ静岡工場の技術部デザイン課が制作した。模型情報を編集していた加藤智がいた部署だった関係で、その紙面にて、横井孝二が描いた絵が小さく掲載された。
メモ 横井孝二が描いた絵は、ウォーカーギャリアからエルガイムマークIIまでの組立説明書にて掲載された。

ロボチェンマンのウォーカーギャリアとバイファムが発売された時期に、外岡仁は加藤智からの紹介で横井孝二が描いた絵を数点と、横井孝二からの意見が記されたメモを見ていた。しかしロボチェンマンのデフォルメのバランスは、チョロQダグラムを参考にしつつ外岡仁の感覚で決定された。

外岡仁が技術部開発課にて企画開発したデフォルメ製品
1984年?月発売
テクトロンセンサロボ ロックンロボ

1984年7月発売
ロボチェンマンシリーズ1 ウォーカーギャリア
ロボチェンマンシリーズ2 バイファム

1984年8月発売
ロボチェンマンシリーズ3 エルガイム

1984年9月発売
ロボチェンマンシリーズ4 ビルバイン
ロボチェンマンシリーズ5 ガンダムフルアーマータイプ

1984年10月発売
ロボチェンマンシリーズ6 MS-06RザクII

1984年11月発売
ロボチェンマンシリーズ7 トゥランファム

1984年12月発売
ロボチェンマンシリーズ8 エルガイムマークII

1985年1月発売
パロチェンマン1 大魔神

1985年2月発売
ロボチェンマンシリーズ9 カミーグ
ロボチェンマンシリーズ10 カミーグガラット
ロボチェンマンシリーズ11 ジャンブー
ロボチェンマンシリーズ12 ジャンブーガラット

1985年3月発売
ロボチェンマンシリーズ13 パティーグ
ロボチェンマンシリーズ14 パティーグガラット

1985年4月発売
パロチェンマン2 ゴジラ
パロチェンマン3 キングギドラ

1985年5月発売
パロチェンマン4 ケンシロウ
パロチェンマン5 シン

1985年6月発売
ロボチェンマンシリーズ15 ガンダムマークII
パロチェンマン6 ガメラ
パロチェンマン7 ドラキュラ
テクトロンセンサロボ ベートーベン

1985年7月発売
ロボチェンマンシリーズ16 ハイザック
パロチェンマン8 フランケンシュタイン
パロチェンマン9 ウルトラマン

1985年8月発売
ロボチェンマンシリーズ17 チェンジロボ
カワルドスーツ1 ガンダムマークII
カワルドスーツ2 ハイザック

1985年9月発売
ロボチェンマンシリーズ18 リック・ディアス
カワルドスーツ3 リック・ディアス
カワルドスーツ4 百式

1985年10月発売
カワルドスーツ5 Zガンダム

1985年11月発売
ロボチェンマンシリーズ19 Zガンダム
ロボチェンマンシリーズ20 バルキリー

1986年4月発売
パロチェンマン10 ゲゲゲの鬼太郎

1986年6月発売
あそボット1 機動戦士Zガンダム ゼータガンダム
あそボット2 蒼き流星SPTレイズナー レイズナー
あそボット3 スーパーマリオブラザーズ スーパーマリオ
あそボット4 ホワッツマイケル マイケル

1986年8月発売
あそボット5 機動戦士ガンダムZZ ダブルゼータガンダム

1986年9月発売
あそボット6 ドラゴンボール 孫悟空
あそボット7 ハイスクール!奇面組 一堂零
あそボット8 スーパーマリオブラザーズ 大魔王クッパ

ロボチェンマンのチェンジロボとリック・ディアスの箱絵、パロチェンマンの北斗の拳とゲゲゲの鬼太郎を除く計7種類の箱絵、カワルドスーツの全5種類の箱絵は、増尾隆之=増尾隆幸が描いた。
メモ ロボチェンマンのZガンダムとバルキリーの箱絵も、増尾隆之が描いたことが考えられる。
メモ パロチェンマンの大魔神の箱絵は、MASSEAuというサインになっている。
メモ ロボチェンマンのガラットの全4種類の箱絵、ガンダムマークIIとハイザックの箱絵は、増尾隆之の妻、増尾啓子=pacoが描いたことが考えられる。

bandai robochanman changerobo01

絵を発注したバンダイは細かな指定をしなかった為、増尾隆之は自由に描いた。チェンジロボの箱絵のロボットは約2.5頭身にアレンジしていて、製品本体とは形が異なる。
メモ 増尾隆之に問い合わせて、情報を得た。
メモ 1985年に発売されたファイアーダッシュのチェンジロボとダイレオンの絵も、製品本体とは形が異なる。

kodansha comic bombom 1985 05 01

1985年4月15日に発売されたコミックボンボン1985年5月号から、1985年11月15日に発売された同誌1985年12月号まで、ときた洸一が描いたこちらロボ番地!が連載された。ロボチェンマンとパロチェンマンが登場する漫画になっている。


バンダイの特機事業部自販課が横井孝二を起用

スーパーディフォルメガンダムワールドを企画して、デザイナーとして横井孝二を起用したのは、特機事業部自販課にてガシャポン製品を企画開発していた佐々野雅哉だった。
メモ スーパーディフォルメガンダムワールドの開発についての細かな状況は、1982年にバンダイに入社して、現在は玩具企画会社のささのやドットコムを経営する佐々野雅哉に問い合わせて、情報を得た。

1984年10月発売
重戦機エルガイム

1984年11月頃発売
重戦機エルガイム ※10月発売版に4体追加

1985年5月発売
超時空要塞マクロス
ディフォルメヒーローシリーズ

1985年7月発売
ディフォルメZガンダム PART1

1985年8月発売
スーパーディフォルメガンダムワールド PART1

佐々野雅哉は重戦機エルガイムのディスプレイパネル用の絵を当時16歳の高校2年生だった横井孝二に発注していて、その流れでスーパーディフォルメガンダムワールドのデザイナーとして起用することになった。
メモ 1984年に、佐々野雅哉はバンダイ第3ビルの加藤智が同席した場にて横井孝二に面会した。
メモ 1984年10月11月頃に発売されたガシャポンの重戦機エルガイム1985年5月に発売された超時空要塞マクロスディフォルメヒーローシリーズ1985年7月に発売されたディフォルメZガンダムPART1は、佐々野雅哉が企画開発した。オオツカ企画が各ロボットをデフォルメにして、デフォルメのバランスはロボチェンマンに似ている。各ディスプレイパネルにて掲載されたデフォルメのロボットの絵は高校2年生~3年生だった横井孝二が鉛筆で描いて、デザイン会社のレイアップが横井孝二が描いた絵のクリーンナップと、ディスプレイパネル全体のデザインと彩色をした。
メモ 重戦機エルガイムの10月発売版のディスプレイパネルにて掲載された絵を描いた人は分からない。
メモ ディフォルメZガンダムPART1のディスプレイパネルにて掲載された絵は後に、SDガンダム文具セットに流用された。
メモ 1985年1月29日に開催されたバンダイフェア用の特機事業部のカタログにて、ロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプから着想を得ていることが考えられる銀色の試作物が掲載されたが、これに関して佐々野雅哉は記憶が無い。

横井孝二は名古屋に住んでいた為、佐々野雅哉はスーパーディフォルメガンダムワールドの企画の為に何度も名古屋に行き、横井孝二に会った。1回目の名古屋の時はスーパーディフォルメについて説明して、円形〇の下に同径の三角△、そこに腕と、脚を省いて足のみを付けた2頭身の図を描いて見せた。2回目の名古屋の時に契約して、発注した絵の費用を支払い、次の絵の発注をした。ここまでは順調だったが、1985年に佐々野雅哉より1期上の柴崎誠が、2回目の名古屋分の精算書と、横井孝二の領収書を確認した時に問題が発生した。高校生に高額な金を渡すと不良の原因になるとして、横井孝二を起用することに反対して、さらに部長の仲吉昭治からも企画の休止を求められた。しかし佐々野雅哉は横井孝二が描くキャラクターが売れると信じて疑わなかった為、3回目以降は独断で休日に名古屋まで自費で行き、追加で発注した絵の制作料も自費で支払い、企画を継続した。
メモ スーパーディフォルメガンダムワールドPART1の前に発売された超時空要塞マクロスディフォルメヒーローシリーズディフォルメZガンダムPART1のディスプレイパネルにて掲載された絵は横井孝二が描いたが、絵の制作料は特機事業部ではなく加藤智の経由で支払いしていた為、柴崎誠は横井孝二が起用されていたことに気づかなかったのか問題視はしていなかった。ちなみにディスプレイパネルの制作はデザイン会社のレイアップが行い、バンダイ静岡工場の技術部デザイン課は関わっていない。
メモ 佐々野雅哉は1985年にホラーワールドの製品デザインも横井孝二に発注していて、スーパーディフォルメガンダムワールドと同様に絵の制作料は自費で支払いしていた。デザイン会社のレイアップが横井孝二が描いた絵のクリーンナップと、ディスプレイパネル全体のデザインと彩色をした。
メモ 佐々野雅哉はスーパーディフォルメガンダムワールドとホラーワールドの開発初期の経費を自費で支払いしていたことについて、その金額をバンダイから回収したかどうかは記憶が無い。
メモ 柴崎誠は、1981年4月にバンダイに入社した。そして25年後の2006年4月に同社の副社長に就任した。

hobby japan 2012 05 02

佐々野雅哉が横井孝二にデザインを発注した時に、蛆虫のごとく増殖するモビルスーツ達、さらに、蛆虫のように湧いて出てくるイメージ、を伝えた為、横井孝二が描いた絵の中にうぢ虫ぐわんだむの文字がある。
メモ うぢ虫ぐわんだむの絵は、ホビージャパン2012年5月号にて掲載された。ちなみにSDガンダム デザインワークスにて掲載された絵は、うぢ虫ぐわんだむの文字は消去して、各ロボットの位置が変更された。
メモ 佐々野雅哉は、バンダイ内で見向きされなくなっていた1作目のガンダム作品から、蛆虫らしき何かが出てくることをイメージしていた。

bandai robochanman ms-06r zaku ii01

スーパーディフォルメガンダムワールドのザクやグフは、ロボチェンマンのMS-06RザクIIの組立説明書にて掲載された、横井孝二が描いたMS-06RザクIIに雰囲気が近い。頭とスカートを上下に少し縮めて、脚を省いて靴の部分を広げれば、スーパーディフォルメガンダムワールドの雰囲気になる。

bandai mokei jowhow 1985 06 01

1985年6月1日に発行された模型情報1985年6月号にて、スーパーディフォルメガンダムワールドの見本が掲載された。スーパーディフォルメとSDという言葉は企画当初からあったが、1985年5月の時点では製品名はまだ決まっていなかった。宮本原型という会社が原型を制作して、鍬形加工が生産した。
メモ 宮本原型は蝋型の製作を専門にしていて、蝋型の元になる原型は宮本原型の下請けが製作していたことが考えられる。
メモ 同ページにて、特機事業部が担当したディフォルメZガンダムPART1と、ホビー事業部が担当したロボチェンマンのガンダムマークIIも掲載された。
メモ 1985年に出願されたらしいSDの玩具の商標登録が見つからない為、旧デザインは更新しなかったことが考えられる。新デザインは2000年に出願された。スーパーディフォルメの玩具の商標登録は、1992年に出願された。

hobby japan 1985 08 01

スーパーディフォルメガンダムワールドPART1は、1985年8月に発売された。この時の横井孝二は、17歳の高校3年生だった。
メモ 1985年5月30日に開催された東京おもちゃショー用のバンダイのカタログにて、「8月登場」と記載している。
メモ スーパーディフォルメガンダムワールドの広告が掲載されたホビージャパン1985年8月号は7月25日に発売された為、7月末に発売されたことも考えられる。

佐々野雅哉は1985年9月に他の部署に転属した為、企画開発中だったスーパーディフォルメガンダムワールドMARK3SDキン肉マンホラーワールド、食玩のランドサーフバギーLSB-5~LSB-12追加版は、他の社員が引き継いだ。
メモ 横井孝二は1987年に日本大学の夜間学部に入学した。この時に佐々野雅哉は横井孝二の為に千葉市稲毛区にてアパートの契約をして、さらにレイアップの中田ルオ社長に横井孝二を雇うよう説得して絵の仕事が出来る環境を整えた。
メモ SDガンダムには多数の人が関わり、デフォルメのバランスが異なる様々な立体物が発売された。関節を可動させる為に脚が長めなデフォルメもSDガンダム製品として発売されて、SDの定義は曖昧になった。

佐々野雅哉が特機事業部自販課にて企画開発したデフォルメ製品
1984年?月発売
キン肉マン ノコレスラー

1984年10月発売
重戦機エルガイム

1984年11月頃発売
重戦機エルガイム ※10月発売版に4体追加

1984年12月頃発売
超人キンタマン

1985年3月発売
超力ロボ ガラット

1985年4月発売
ゴジラダッシュ

1985年5月発売
超時空要塞マクロス
ディフォルメヒーローシリーズ

1985年7月発売
ディフォルメZガンダム PART1

1985年8月発売
スーパーディフォルメガンダムワールド PART1

1985年9月発売
ディフォルメヒーローシリーズ パート2 北斗の拳

1985年10月発売
ディフォルメZガンダム PART2 ※PART1に4体追加

1985年?月発売
スーパーディフォルメガンダムワールド MARK2 ※PART1に10体追加

1985年?月発売
ディフォルメZガンダム PART3 ※PART2に4体追加

1985年?月発売
超時空要塞マクロス ディフォルメマクロス Part2 ※5月発売版に4体追加

1985年?月発売
超人キンタマン パート2

1985年?月発売
超人キンタマン プラキンタマン

スーパーディフォルメガンダムワールドMARK2以降のシリーズ名はPART~ではなく、MARK~になった。佐々野雅哉がガンダムMk-IIから着想を得て、シリーズ名を変更した。
メモ キン肉マン ノコレスラーは、ロビンが製造したノコノコ人形ロボコン等のゼンマイ歩行フィギュアから着想を得ている。佐々野雅哉が自身の手で各キャラクターをデフォルメにアレンジして、ディスプレイパネルの絵も描いた。


SDガンダムに関しての怪しい話 1

ホビージャパン2012年5月号の横井孝二をインタビューした記事にて、横井孝二をSDガンダムの生みの親に指定していて誇張がある。本件にて生みの親という言葉を用いると、ガンダムを2頭身で表現した先駆者、製品の開発責任者、製品名の発案者という意味まで含んでしまう。
メモ 生みの親という言葉は、物事を最初に始めた人、最初に作り出した人を意味する。 ホビージャパン2012年5月号以降、横井孝二を紹介した記事にてSDガンダムの生みの親というキャッチコピーや文を見ることが多くなり、スローガンやプロパガンダ的な雰囲気がある。
  • SDガンダムの第1号製品とも言えるロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプを企画開発したのは、外岡仁だった。ロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプの脚を短くすれば、スーパーディフォルメガンダムワールドに近い雰囲気になる。
  • スーパーディフォルメガンダムワールドを企画開発したのは、佐々野雅哉だった。各モビルスーツを頭が大きく胴体と脚が極端に短い体型で統一することを考えて、その表現をスーパーディフォルメ、SDと呼称した。
    部長の仲吉昭治と、佐々野雅哉より1期上の柴崎誠は、まだ高校生だった横井孝二を起用することに反対したが、佐々野雅哉は独断で横井孝二が住む名古屋まで自費で行き、追加で発注した絵の費用を自費で支払い、企画を継続した。
  • SDガンダムの企画で最初に起用されたデザイナーは、横井孝二だった。スーパーディフォルメガンダムワールドでは、ロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプや、ロボチェンマンの組立説明書にて掲載されたMS-06RザクIIよりも、さらに脚と頭を縮めた。この時に、地球連邦系のロボットデフォルメに苦戦した。
  • スーパーディフォルメガンダムワールドPART1の原型を制作したのは、宮本原型という会社だった。スーパーディフォルメガンダムワールドの場合、立体物の制作者はもう1人のデザイナーと言える。
こうした経緯があった為、SDガンダムの生みの親として1人を指定してしまうと、手柄を独り占めしている印象を与えてしまう。
メモ 生みの親という言葉をデザイナーという言葉に置き換えれば、問題は解消する。
メモ アニメやゲームや玩具関連の記事にて、生みの親や元祖や先駆者等の言葉が用いられる傾向がある。生みの親や元祖や先駆者であって欲しい、というファンの心理が影響して、盛ってしまうことが考えられる。
  1. 1983年7月にアニメのチョロQダグラムが映画館にて公開された。
  2. 1983年10月頃にタカラからチョロQダグラムのフィギュアが発売された。
  3. 1984年5月に第23回静岡プラスチックモデル見本市が開催されて、バンダイのホビー事業部からロボチェンマンが6種類発表された。
  4. 1984年7月にロボチェンマンのウォーカーギャリアとバイファムが発売された。
  5. 1984年8月にロボチェンマンのエルガイムが発売された。
  6. 1984年9月にロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプとビルバインが発売された。
  7. 1984年10月にロボチェンマンのMS-06RザクIIが発売された。
  8. 1984年10月にバンダイの特機事業部からガシャポンの重戦機エルガイムが発売された。さらに11月頃4体を追加して再販売された。ミニサイズのプラモデルになっていて、エルガイムのデフォルメのバランスはロボチェンマンのエルガイムに似ている。
  9. 1985年5月に特機事業部からガシャポンの超時空要塞マクロスディフォルメヒーローシリーズが発売された。ミニサイズのプラモデルになっている。バイファムとビルバインのデフォルメのバランスは、ロボチェンマンのバイファムとビルバインに似ている。
  10. 1985年7月に特機事業部からガシャポンのディフォルメZガンダムPART1が発売された。ミニサイズのプラモデルになっている。ガンダムMk-IIのデフォルメのバランスは、ロボチェンマンのガンダムマークIIに似ている。
  11. 1985年8月に特機事業部からガシャポンのスーパーディフォルメガンダムワールドPART1が発売された。塩化ビニールの塊になっている。
他にもホビージャパン2012年5月号の記事は、誤解がある。「2頭身にギュっと縮めながらも精密さを持ついわゆるSDスタイルは、SDガンダムより発生したといっていいだろう」と記載していて、SDガンダムの表現方法がスーパーディフォルメガンダムワールドの発足時に無の状況から発案されたとの説明になっている。しかし1984年にはロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプが発売されていて、箱絵はSDスタイルと呼べる雰囲気になっている。

bandai robochanman gundam02

さらに「というかSD以前にSDという言葉は無かったし」との補足を記載しているが、表現方法について言及する場合は製品名で区切ってはならない。
メモ 佐々野雅哉はチョロQダグラムからロボチェンマンへの流れは認識していて、その流れに乗り変化を加えたのがスーパーディフォルメガンダムワールドだと言及している。
メモ 当該記事は、栗原昌宏が執筆した。後にツイッターにて、栗原昌宏ロボチェンマンには詳しくないことが判明した。
メモ 横井孝二も、SDガンダムの第1号製品とも言えるロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプや、MS-06RザクIIの絵があったことについては言及していない為、スーパーディフォルメガンダムワールドを起点にしている印象を与えている。
メモ スーパーディフォルメガンダムワールドやその後のSDガンダムは、2頭身キャラクターとして扱われることが多い。しかし実際は、2頭身ではないキャラクターのほうが多い。

kodansha comic bombom 1985 05 02

脚がほとんど無い丸っこいスタイルについても、スーパーディフォルメガンダムワールドよりも前に発表された作品がある。1985年4月15日に発売されたコミックボンボン1985年5月号にて、MS-06RザクIIが登場するこちらロボ番地!が掲載された。作者のときた洸一が描いたMS-06RザクIIは、脚がほとんど無くスカートも縮めていて、横井孝二が描いたスーパーディフォルメガンダムワールドに近いデフォルメのバランスになっている。こちらロボ番地!はロボチェンマンとパロチェンマンを活躍させることを目的にして連載を開始した漫画だったが、ときた洸一はデフォルメのバランスを変えて描いていた。
メモ ときた洸一が描いたMS-06RザクIIは、ロボチェンマンのMS-06RザクIIの組立説明書にて掲載された、横井孝二が描いたMS-06RザクIIから着想を得ていることが考えられる。同様に模型情報1985年2月号にて掲載されたときた洸一が描いたズワースも、横井孝二が描いたダンバインから着想を得ていることが考えられる。
メモ 1984年にバンダイのマミート事業部から発売されたダルマチック スピンザウルス ゴジラ対メカゴジラセットの箱絵のメカゴジラは、2頭身で丸っこい。絵を描いた人は分からない。

他にもホビージャパン2012年5月号の記事は、誤解がある。横井孝二がデビュー前にプライベートで描いた絵として、ロボチェンマンの絵が掲載された。

ホビージャパン2012年5月号のSDガンダムの誕生について記載しているページは、参考に出来る部分と出来ない部分に注意して読む必要がある。


SDガンダムに関しての怪しい話 2

1995年6月9日に発行されたガンダム神話にてスーパーディフォルメガンダムワールドの開発について記載しているが、佐々野雅哉がこの本の著者に直接伝えた話ではない為に誤解がある。
  • 「佐々野雅哉は周囲の無関心ぶりをよそに、このデフォルメキャラクター物の動きに注目していた」の件は、若干異なる。佐々野雅哉は当時、イメージした物がガシャポンで製品化されていなければ、真っ先に開発することを考えていた。周囲の無関心について言及した記憶は無い。
  • スーパーディフォルメガンダムワールドの企画を始めた時に佐々野雅哉の上司が「ガンダムに対する冒涜だ」と発言した件は、佐々野雅哉は部長の仲吉昭治、次長、係長、柴崎誠からは直接そうした発言は聞いていない。仲吉昭治と柴崎誠が横井孝二を起用することに反対していたことを加藤智は知っていた為、加藤智がこの本の著者に状況を伝えた時に変質したことが考えられる。
  • うぢ虫ぐわんだむの文字が原因で創通エージェンシーの担当者が「キャラクターをバカにしている」と佐々野雅哉に対して怒った件は、実際は担当者から、うぢ虫ぐわんだむとは何ですか、という質問があったのみだった。
  • スーパーディフォルメガンダムワールドPART1の原型を制作したのは鍬形加工ではなく、宮本原型という会社だった。鍬形加工は、スーパーディフォルメガンダムワールドPART1の生産をしていた。
他にもガンダム神話は、誤解がある。横井孝二は機動戦士ガンダムに登場するロボットを2頭身で描いて模型情報に投稿したことを記載しているが、横井孝二はそのような絵は投稿していない。この誤解は、俺たちのガンダム・ビジネスへ拡散した。

bandai mokei jowhow 1983 01 01

1982年12月25日に発行された模型情報1983年1月号にて、アッグガイを2頭身にした絵が掲載された。投稿したのは、横井孝二ではない。
メモ アッグガイは、元からデフォルメ的なデザインになっている。
メモ 模型情報1981年8月号にて、モノアイにニッコリ記号∩を描いた絵が掲載された。

diamond the legend of mobile suit gundam01

ガンダム神話のSDガンダムの誕生について記載しているページは、参考に出来る部分と出来ない部分に注意して読む必要がある。
メモ ガンダム神話は、猪俣謙次が執筆した。


SDガンダムに関しての怪しい話 3

ガンダムに関連した立体物を展示したガンダムワールドが、日本の各地にて開催された。その会場にてSDガンダムの歴史について記載しているパネルが設置されていて、内容に誤解があった。
メモ 2012年12月1日~2013年1月31日にダイバーシティ東京プラザ7Fのガンダムフロント東京にて開催されたGUNPLA展でも、ほぼ同じパネルが設置された。
メモ SDガンダムが展示されないガンダムワールドもあった。

SDガンダム誕生!
高校生が模型誌に投稿したイラストから始まった・・・

『機動戦士ガンダム』劇場三部作の公開終了後もガンプラブームは衰えることなく、バンダイは『模型情報』という月刊誌を発行して、ガンプラの最新商品情報や模型製作例などを紹介していた。
その読者投稿イラストコーナーに、風変わりなモビルスーツのイラストが掲載される。愛知県在住の高校生・鳥山劣君(ペンネーム)が描いたそのイラストは、三頭身にデフォルメされたガンダムだった。彼のイラストに注目した編集部は、1984年3月号から『MJ劇場』のタイトルで『模型情報』に4コマ漫画の執筆を依頼。この『MJ劇場』が現在まで続くSDガンダムの原型となった。
ペンネーム・鳥山劣君は、現在では"横井画伯"と呼ばれる横井孝二氏。SDガンダムの生みの親としてファンから神格化されている存在である。もう一つのガンダムワールドである『SDガンダム』の歴史は、アニメではなく、高校生が描いた独創的なイラストから始まったのだ。

明らかに、問題図書のガンダム神話を参考にしている。2頭身を3頭身に改定しているが、3頭身前後のモビルスーツの絵が掲載されたのは加藤智に起用された後の4コマ漫画からで、それ以前は3頭身のモビルスーツは掲載されていない。そして横井孝二を祭り上げている箇所は、語句からホビージャパン2012年5月号を参考にしていることが考えられる。
メモ 企画制作はバンダイと記載している為、パネルの文を執筆した担当者の名前をバンダイに問い合わせたが、情報は得られなかった。
メモ 横井画伯という呼称は、大衆から広まったのではない。横井孝二がレイアップに勤務していた時に、他の社員が横井孝二の様子を見て画伯と渾名した。暫くして、バンダイの模型情報講談社の出版物にて横井画伯という呼称が用いられて、大衆に広まった。

2018年4月28日~5月6日に開催されたガンダムワールド2018in高岡にて、パネルが改定された。

SDガンダム誕生!
『機動戦士ガンダム』劇場三部作の公開終了後も、ガンプラブームは衰えることなく、バンダイは『模型情報』という月刊誌で、ガンプラの最新商品の情報や模型の製作例などを精力的に紹介していた。
その『模型情報』の読者投稿イラストコーナーの常連に、愛知県在住の学生・鳥山劣君(ペンネーム)がいた。彼が描くガンダムシリーズのモビルスーツの独創的なイラストに、編集部は注目。1984年3月号から、「MJ劇場」のタイトルで4コマ漫画の執筆を依頼する。この「MJ劇場」が1985年に発売されるガシャポン(カプセル入り玩具)の「スーパーディフォルメガンダムワールド」シリーズ誕生のきっかけとなり、SDガンダムの歴史が始まる
ペンネーム・鳥山劣君は、現在では"横井画伯"と呼ばれるイラストレーターの横井孝二氏。SDガンダムの生みの親として、ファンの中には神格化する人も多い。もう一つのガンダムワールドであるSDガンダムの歴史は、アニメからではなく、学生が描いた独創的なイラストをきっかけに始まったのだ。

ところが横井孝二を祭り上げている箇所は、ほとんど修正していない。SDガンダムの表現方法はスーパーディフォルメガンダムワールドの発足時に無の状況から発案されたのではなく、1984年に製造されたロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプからの流れがある。SDガンダムの歴史について言及するならば、ロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプを起点にしなければならない。


SDガンダムに関しての怪しい話 4

2004年7月9日に発売された機動戦士ガンダムヒストリカ第8巻の横井孝二をインタビューした記事にて、誤解がある。「最初にSDをデザインさせたバンダイの担当の考えはシンプルだった。その数年前に人気を呼んだDr.スランプ アラレちゃん。このかわいらしいキャラクターは老若男女を問わず広く受け入れられていた。ガンダムにもそのテイストを盛り込むことで敷居を低くしてあげれば、子供や女の子にも広がるに違いない。」と記載しているが、佐々野雅哉はドクタースランプのファンではあるが、企画時にドクタースランプのテイストを盛り込むことは考えたことは無く、言及した記憶は無い。
メモ 当該記事は、池上隆之が執筆した。

さらに玄光社が横井孝二をインタビューした記事にて、「バンダイさんは本当は鳥山さんに描いてほしいんだろうなと」と記載しているが、佐々野雅哉は鳥山明に発注することは考えていなかった。


SDガンダムに関しての怪しい話 5

1994年7月に発行された超音速のMS少女にて、横井孝二がロボチェンマンのデザインに関わりがあったことを記載しているが、誤解がある。プラモデルの箱や組立説明書を制作していたバンダイ静岡工場の技術部デザイン課が、ロボチェンマンの組立説明書にて掲載する挿絵の為に横井孝二を起用した。横井孝二は、ロボチェンマン本体の開発には関わりは無い。
メモ 当該記事は、伊藤隆介=村雨ケンジが執筆した。
メモ 1984年11月26日に発売されたコミックボックスジュニア1985年1月号にて、横井孝二が描いた東宝特撮キャラクターが掲載された。つまり、ロボチェンマンの発売後に記事が掲載されたことになる。


SDガンダムに関しての怪しい話 6

スーパーディフォルメガンダムワールドPART11985年8月に発売されたが、俺たちのガンダム・ビジネス、ホビージャパン2008年1月号、EX大衆2019年10月号ORICON NEWS 2020年1月13日の記事では、何故か1985年6月に発売されたことになっている。
メモ 1985年5月30日に開催された東京おもちゃショー用のバンダイのカタログにて、「8月登場」と記載している。
メモ スーパーディフォルメガンダムワールドの広告が掲載されたホビージャパン1985年8月号は7月25日に発売された為、7月末に発売されたことも考えられる。
メモ 発売という言葉は、製品を売り出すことを意味する。ちなみにガシャポンの場合は、小売店により発売日は異なる。
メモ 2015年6月に横井孝二がツイッターにて誤情報を流してしまった。この時にツイッターにて異論を呈したのは、1名のみだった。

誤情報の原因は、ウィキペディアのSDガンダムのページが考えられる。2004年2月9日にウィキペディアを更新した人は、模型情報1985年6月号にてスーパーディフォルメガンダムワールドの見本が掲載されたことを誤解して、ウィキペディアにて6月に発売と記載してしまったことが考えられる。
メモ 1985年7月15日に発売されたコミックボンボン1985年8月号は、ディフォルメZガンダムPART1のことは記載していて、スーパーディフォルメガンダムワールドPART1のことは記載していない。
メモ 模型情報1985年7月号と8月号は、スーパーディフォルメガンダムワールドPART1のことは記載していない。9月号にて、ホビージャパン1985年8月号と同じタイプの広告が掲載された。
メモ バンダイに問い合わせて、スーパーディフォルメガンダムワールドPART1の出荷日について記載している資料は無いとの情報を得た。

さらにホビージャパン2000年7月号の6ページ目にて「1986年より発売」と記載していて、2012年12月のGUNPLA展では「1987年に発売」と表示していた。年代については、ミスが発生しやすい。
メモ バンダイのウェブサイトは「1985年」と記載していて問題は無い。


SDガンダムに関しての怪しい話 7

2018年にバンダイは、SDガンダム30周年という物販キャンペーンを行った。サンライズのウェブサイトにて趣意が掲載されて、アニメの機動戦士SDガンダム1988年3月12日に公開されてから2018年で30周年になったことを記念した企画、と説明していた。

ガンダムカフェ sdガンダム30th tシャツ01

しかしバンダイはアニメの機動戦士SDガンダム以外のSDガンダムも祝していて、キャンペーンのロゴも全てのSDガンダムを統括していて、2015年に行うべき企画を2018年に無理やり行った感じがあった。 バンダイは佐々野雅哉を起点にしたSDガンダム30周年ではなく、副社長だった柴崎誠を起点にしたSDガンダム30周年を選択したような雰囲気がある。


SDガンダムに関しての怪しい話 8

兵庫県立美術館が2013年に発行した超・大河原邦男展レジェンド ・オブ・メカデザインにて「既存のロボットを可愛らしくアレンジする最初の例は、チョロQダグラムに求めることができる」と記載しているが、誤解がある。こうした表現にも過去からの流れがあり、チョロQダグラムは起点ではなく、変化点になる。
メモ 当該記事は、兵庫県立美術館の小林公が執筆した。

gyakuten! ippatsuman episode26 01

1982年8月7日に放送された逆転イッパツマンの第26話にて、関節の可動を気にしないデフォルメの逆転王が登場する。
メモ ロボットの各パーツが密着していても、アニメーションの場合は原画担当者と動画担当者がぬいぐるみ的に曲げる方法で処理する為、問題にはならない。
メモ アニメのチョロQダグラムにて、ダグラムの身長が伸びてデフォルメ体型に戻る演出は、逆転イッパツマンの第26話または、週刊少年ジャンプ1980年2月11日号No.5・6にて掲載されたドクタースランプのオ~ッス!の巻から着想を得ていることが考えられる。
メモ 逆転王のデフォルメのバランスは、BB戦士のZガンダムに近い雰囲気がある。

ポピー ウルトラ怪獣ケシゴム キングジョー小01

1979年にポピーは、ウルトラマン怪獣ケシゴムキングジョーユートムを製造した。ウルトラマン怪獣ケシゴムは人気があった為、キングジョーユートムがデフォルメに興味があった人々に影響を与えたことは考えられる。
メモ ウルトラマン怪獣ケシゴムと同じ時期に発売された丸越のガメロットも、かなり脚を縮めている。
メモ 1979年5月1日に発売されたテレビマガジン1979年6月号にて、成井紀郎が描いたデフォルメのRX-78ガンダムが掲載された。RX-78ガンダムを縮める時にディテールをどうするかが問題になるが、服を描いて解決している。
メモ 1966年に発売された三ツ葉電機製作所のミツバの鉄人28号ランプは、脚を縮めている。