バンダイ 模型情報別冊 MSバリエーションハンドブック 2
1983年5月30日に発行された模型情報別冊MSバリエーションハンドブック2にて、増尾隆之=増尾隆幸が描いたモビルスーツ・エンブレム・コレクション2が掲載された。
メモ 増尾隆之(たかゆき)が本名で、1983年以降は増尾隆幸(りゅうこう)というペンネームが用いられた。サインは、TAKAYUKI・MASUO、T.masseau、MASSEAu、Ryukow MASSEAu、Ryukow、PACOSがある。2020年まで、CG制作会社のルーデンスを経営していた。
モビルスーツ用のエンブレムのデザインを増尾隆之に発注したのは、模型情報を編集していた加藤智だった。軍用機のノーズアート的な雰囲気にすること以外は決まりはなかったため、増尾隆之は自由に描いた。モビルスーツ・エンブレム・コレクションの女性キャラクターは、20代前半の女性をイメージして描かれている。
メモ 増尾隆之に問い合わせて、情報を得た。
メモ 軍用機のノーズアートをモビルスーツに取り入れることを発案したのは、小田雅弘だった。小田雅弘に問い合わせて、情報を得た。
メモ モビルスーツ・エンブレム・コレクションはパーソナルエンブレムとも呼称されていたが、後にパーソナルマークという呼称に統一された。
メモ 20代前半の女性をイメージして描いた作品のため、MS少女という言葉は当てはまらない。
増尾隆之が描いたビキニアーマー女戦士のポーズは、模型情報1983年1月号の読者参加ページにて掲載された絵に似ている。
コミックボンボン 1983年9月号
1983年8月15日に発売されたコミックボンボン1983年9月号にて、モビルスーツ・エンブレム・コレクションのグフを造形したフィギュアが掲載された。
小沢勝三がバンダイから発売されたラムちゃんのプラモデルを土台にして制作した。
ホビージャパン 1983年9月号と10月号
1983年8月25日に発売された月刊ホビージャパン1983年9月号の広告ページにて、モビルスーツ・エンブレム・コレクションのグフを造形したフィギュアが掲載された。
モデルショップ童夢から、1/6サイズでレジンキットが発売された。スペースクイーン コーラルとネーミングされて、版権は取得していなかった。大河原邦男が原型を制作した。
メモ 大河原邦男は木を削って造形することに慣れていて、コミックボンボン1983年9月号にて工作室が絵で掲載された。
メモ 価格は、ホビージャパン1983年11月号のモケイラッキーの広告は11500円、ホビージャパン1983年12月号のボークスの広告は11000円。
1983年9月25日に発売された月刊ホビージャパン1983年10月号にて、作例が掲載された。
メモ 製作記事を執筆した上田信は、ガンダムのプラモデルの1/144ガンタンクや、1/100リアルタイプシリーズの箱絵を描いた。
バンダイ 模型情報別冊 MSバリエーションハンドブック 3
1983年10月10日に発行された模型情報別冊MSバリエーションハンドブック3にて、小沢勝三と大河原邦男が制作したフィギュアが掲載された。
グフレディとネーミングされた。
メモ 1984年2月25日に発行された講談社のポケットカード機動戦士ガンダムMSVコレクションでも、キャラクター名はグフレディになっている。
記事内に、モデルショップ童夢の宣伝がある。
メモ 2010年9月25日にKADOKAWAから発売された模型情報・別冊MSバリエーションハンドブック復刻版のほうでは、宣伝文は削除された。
ホビージャパン 1983年11月号
1983年10月25日に発売された月刊ホビージャパン1983年11月号にて、バンダイから発売されたミンキーモモのプラモデルと1/250グフのプラモデルを組み合わせたグフレディが掲載された。
メモ 1/250イロプラのグフ、量産型ザク、シャア専用ザク、RX-78ガンダムは1983年7月に発売された。ミンキーモモは、1983年8月に発売された。
モビルスーツと少女を組み合わせていて、MS少女になっている。
バンダイ 模型情報 1984年3月号
1984年3月1日に発行された模型情報1984年3月号にて、増尾隆之が描いたザクレディが掲載された。
メモ ジオン軍MS用ガンダムデカール1にて、ザクレディがある。増尾隆之が描いたザクレディは首の位置が胴体の中心からズレているため、絵を大きくして用いることはできない。
同年7月にモデルショップ童夢から、1/6サイズでザクレディのレジンキットが発売された。スペースイヴ ギャラクシーナ / ザクレディとネーミングされて、版権は取得していなかった。紋谷成志が原型を制作した。
月刊ホビージャパン 1984年4月号と5月号
ホビーショップラーク大船店から、1/12サイズでスペースクイーン コーラルのレジンキットが発売された。
月刊ホビージャパン1984年4月号と5月号にて広告が掲載されて、4月に予約が開始されて、5月に発売された可能性がある。
モデルショップ童夢と同様に版権は取得していなかったが、創通エージェンシーがラーク大船店に対して警告することはなかった。
メモ ラーク吉祥寺店を経営して、現在はウェーブを経営している阿部嘉久に問い合わせて、情報を得た。ラーク大船店とラーク吉祥寺店は経営者が夫々異なり、ラーク吉祥寺店はラーク大船店からオリジナルキットを仕入れて販売していた。