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元祖に関しての誤報

2012年6月、グリフォンエンタープライズが幻夢戦記レダのフィギュアを発売したのだが、問題点があった。

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パッケージやウェブ通販店用の画像にて、元祖ビキニアーマーのヒロイン、と記載していた。

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そして2012年10月11日発行、いまだから語れる80年代アニメ秘話 美少女アニメの萌芽でも、元祖ビキニ戦士の生みの親、と記載していた。幻夢戦記レダのキャラクターテザインを担当したいのまたむつみは、元祖に関する話は同出版物では全くしていない。

幻夢戦記レダは、ビキニアーマー女戦士やビキニ女戦士の元祖ではない。例えばキーワードを多くして、日本の作品 + 硬そうなビキニトップ左右 + ショルダーアーマー左右 + ブーツ + 剣、の組み合わせにしてみても、1983年のグフレディがある。

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ビキニトップ上のアールヌーボー的な装飾は、1984年1月30日発売、月刊COMIC劇画村塾1984年3月号の表紙が一足早い。高橋留美子が描いた絵は、レイア姫から着想を得ていることが考えられる。


1985年3月1日にOVAを発売するまでの経緯

1984年2月26日発売、月刊ザ・モーションコミック1984年4月号にて、いのまたむつみが描いたコミックが掲載された。

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電柱に、幻夢戦記レダの広告がある。
メモ 足の描きに目立つミスがある表紙のオリジナルキャラクターは、平野俊弘が描いた。そして湖川友謙が描いたコミック UNBALANCE ANGEL ユウに、ショルダーアーマーを着けていないビキニアーマー女戦士が登場する。
メモ 同時期に、いのまたむつみが作画監督と原画を担当したプラレス3四郎の最終話が放送された。車の予備タイヤのカバーに、LEDAの文字が描かれていた。

1984年3月10日発売、月刊ジ・アニメ1984年4月号にて、中期~後期案と考えられる絵付録ポスターに掲載された。さらに5月号6月号にも掲載されて、5月号決定稿に近い。月刊アニメック1984年6月号では、初期案と考えられる絵が掲載された。
メモ いのまたむつみの1980年代のサインは、I の文字にミスがあった。

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1984年6月30日発行、ジ・アニメ特別編集いのまたむつみラブリーコレクションにて、初期~後期案と考えられる絵が掲載された。決定稿は掲載されなかった。
メモ 1985年4月15日発行、コミックボンボンスペシャル4幻夢戦記レダにて、企画がスタートしたのは1983年12月頃、作画作業がスタートしたのは1984年6月頃、と記載された。
メモ カナメプロダクションがファンクラブ会員に発売した同人誌 VIVA! KANAME にて、当初は30分物として、1984年7月に完成させる予定だったことが記載された。

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1984年9月17日、東宝本社にて製作発表記者会見が行われた。

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1984年10月10日発売、月刊ジ・アニメ1984年11月号の表紙にて、決定稿を基本にした絵が掲載された。

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そして、正面向きの決定稿が掲載された。
メモ 同時期の他のアニメ誌でも同じ絵が掲載された。9月17日に行われた製作発表記者会見にて、東宝が各出版社に資料を配布したことが考えられる。

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1984年10月15日発売、月刊コミックボンボン1984年11月号から1985年3月号まで、小説が掲載された。文は菊地秀行が担当して、挿絵はカナメプロダクションに勤務していた渡辺真由美山内英子が担当した。

1984年12月23日コミックマーケット27にて、一般人がコスプレをしていた。アニメファンの期待が高まっている雰囲気が伝わってくる。

1985年1月25日発売、月刊ホビージャパン1985年2月号のホビーショップラークの広告にて、1/12サイズのレジンキットフィギュアを発売したことが記載された。フィギュアモデラーの秋山徹郎が店に販売を委託した品で、定価は2000円だった。
メモ ツクダホビーが無塗装フィギュアを発売したのは、1/6サイズは1985年4月、1/12サイズは1985年6月。日東科学が1/12サイズのプラモデルフィギュアを発売したのは1985年6月。

1985年2月10日発売、月刊マイアニメ1985年3月号にて、付録決定稿が掲載された。
メモ 決定稿に「右 かたあてとむねあての間はつながってまへん」と注意書きがあり、ビキニトップはアーマーとして描いたことが分かる。
メモ 決定稿は、変な箇所がある。カップの上の細いショルダーストラップを消して、しかし背中側のショルダーストラップは残していて、前と後ろで辻褄が合わなくなっている。さらに左側のカップの縁とショルダーアーマーの縁を丸いパーツで繋げていて、腕を上げると同時にカップが上方向に引っ張られてズレることになる。関連して1985年12月15日発行、ギャルズアニメPART2の表紙のオリジナルキャラクターは幻夢戦記レダから着想を得ているようで、カップの縁とショルダーアーマーの縁を繋いでいる。

1985年3月1日、ビデオが発売された。


幻夢戦記レダIIに関しての混乱

1985年12月5日発売、7インチシングル盤レコード、幻夢戦記レダIIイメージソング夢の迷路は、表示が混乱していた。

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表紙の片面は幻夢戦記レダIIのイメージソングになっていて、もう片面は幻夢戦記レダのイメージソングになっていた。そして1985年に配布された映画のチラシ幻夢戦記レダのイメージソングになっていて、キングレコードの広告は幻夢戦記レダIIのイメージソングになっていた。
メモ LP盤レコード幻夢戦記レダIIイメージアルバムに1作目の曲を混ぜたことが影響して、混乱したことが考えられる。

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さらに表紙の裏面と広告にて、幻夢戦記レダIIを1986年の夏に劇場公開することを予告していたが、幻夢戦記レダを製作したカナメプロダクションが1986年の夏に公開したのはウインダリアだった。
メモ 1985年9月10日発売、月刊ジ・アニメ1985年10月号にて、ウインダリアの企画が発表された。秋本理央幻夢戦記レダIIについて語っていて、この時点では幻夢戦記レダIIの企画はウインダリアの企画と同時進行していた。
メモ ウインダリアのクレジットにて「製作 株式会社あいどる 株式会社カナメプロダクション」と表示されていたが、カナメプロダクションも出資したのだろうか。

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1986年1月21日発売、LP盤レコード、幻夢戦記レダIIイメージアルバムの解説書に掲載された大雑把なあらすじの基は、執筆した首藤剛志が2006年にブログにて公開した。 首藤剛志によると、このストーリーで劇場公開する計画があったとのこと。
映画化ぎりぎりまでいって音楽ができ、声優まで決まって、制作会社の都合で、映画化できなかったものです。
企画が中止になったことは、カナメプロダクションが破産したこととは関係しない。カナメプロダクションが破産したことにより企画が中止になったというインターネット内の話は、ウィキペディアと個人ウェブの記載ミスが原因となっている。
メモ 脚本作りは捗らず、複数の脚本家が関わった後に首藤剛志が加わって完成した。このことは版権を管理している東宝に問い合わせて、情報を得た。
メモ カナメプロダクションを運営した人に、過去に何があったのかを問い合わせる必要がある。脚本が完成した頃にはカナメプロダクションの経営は苦しくなっていたらしいことを、版権を管理している東宝に問い合わせて情報を得たが、実際はどうだったのだろうか。
メモ 原画や動画は、製作されなかった。このことはカナメプロダクションに勤務していた石田敦子に問い合わせて、情報を得た。
メモ カナメプロダクションが1982年に発表したオリジナルTVアニメ企画、宇宙船ギャラップ宇宙冒険隊メカベンジャー首藤剛志が関わっていたが、中止になった。宇宙冒険隊メカベンジャーはコミックとして月刊SF&FANTASYリュウ1982年9月号VOL.19から連載開始されて、アニメショップを経営していたあいどるポスターを発売して、マミートチョロQ的な玩具発売した。月刊SF&FANTASYリュウ1982年9月号VOL.19は、バースも連載開始された。
メモ 幻夢戦記レダIIイメージアルバムの解説書に掲載された大雑把なあらすじは、1987年9月5日に発売されたCD幻夢戦記レダ SPECIAL SELECTION オリジナル&イメージ・サントラ解説書にも掲載された。
メモ レコードとCDの発売日は、パッケージの端に記載している。例えば夢の迷路の場合は[I・12・5]とあり、Nは1984年、Iは1985年、Hは1986年、Oは1987年、12月5日、となる。
メモ 首藤剛志は、2010年に死去した。そして幻夢戦記レダと幻夢戦記レダIIイメージアルバムの音響監督を担当した松浦典良は、2005年に死去した。


幻夢戦記レダ2に関しての2度目の混乱

1987年8月10日発売、月刊アニメディア1987年9月号と、1987年8月26日発売、月刊アニメV 1987年10月号にて、幻夢戦記レダ2のストーリー原案コンテストが開催された。

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コンテストが開催されたことで、LP盤レコード幻夢戦記レダIIイメージアルバムに掲載されたストーリーは廃止になっていたことが、一般大衆に伝わった。

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月刊アニメディア1987年9月号では、いのまたむつみが描いた新作が大きく掲載された。
メモ いのまたむつみの絵が掲載されたページの裏側はユーメックスの広告になっていて、切り取るとユーメックスのチラシみたいになってしまう。もしそのような物を見つけたら、誤解しないよう。

新しい幻夢戦記レダ2は1988年の夏に発売することを予告していたが、またもや製作されなかった。

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1987年12月10日発売、月刊アニメディア1988年1月号と、1987年12月22日発売、月刊アニメV 1988年2月号にて、コンテストに応募があった約1400通の中から、10作品が選ばれたことが発表された。
メモ 監督の湯山邦彦は、審査員を辞退したらしい。

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ところが、1988年1月9日発売、月刊アニメディア1988年2月号と、1988年1月26日発売、月刊アニメV 1988年3月号にて、入選作品は無しと発表された。さらに準入選とアニメディア賞は、前月号で発表された2次審査通過者とは違う名が記載された。

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月刊アニメV 1988年3月号では、準入選の賞金は20万円ではなく5万円になったことが記載された。

同1988年、カナメプロダクションはコナミからの発注でワット・ポーとぼくらのお話を製作した後に破産した。
メモ これらのドタバタを詳しく解説する記事は、当ウェブが初となる。
メモ カナメプロダクションを運営した人に、過去に何があったのかを問い合わせる必要がある。
メモ 東宝には、続編に関する企画書等の書類は残っていない。テレホンカードを作った記録のみ、残っている。このことは版権を管理している東宝に問い合わせて、情報を得た。
メモ 1988年にカナメプロダクションは社名をディーバに変更した。しかし社名の変更日が分からない。
メモ ディーバが破産した日が分からない。ワット・ポーとぼくらのお話のクレジットには、ディーバの表示は無い。ワット・ポーとぼくらのお話は、1988年7月30日に発売された。6月頃に破産だろうか。官報情報検索サービスを使えば破産した日が分かるが、高額な費用がかかってしまう。
メモ いのまたむつみが描いた幻夢戦記レダ2に関する絵は、いのまたむつみ画集 月の聲 星の夢に収録された。
メモ カナメプロダクションは、東京都杉並区宮前1-7-7、松木ビルの2Fにあった。