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ガシャポンからスタートしたSDガンダム

ガンダムに登場するモビルスーツを可愛くデフォルメにしたSDガンダムシリーズは、30年以上続いているバンダイの人気ブランドになっている。

SDガンダムの最初の商品、スーパーディフォルメガンダムワールドが企画された時にデザイナーとして起用された横井孝二は、その時はまだ高校生だった。


インターネットが無かった時代の出来事

横井孝二は中学2年生の時からバンダイが発行していた模型情報の読者参加ページに、絵を投稿していた。

bandai mokei jowhow 1983 02 01

模型情報を編集していた加藤智に起用されるまでに、計9作品が掲載された。1981年11月号にてグフが掲載された時は13歳の中学2年生、1982年4月号にてズゴックが掲載された時は14歳の中学3年生、1982年5月号にてMS-06Rが掲載された時は14歳の中学3年生だった。
メモ 横井孝二の誕生日は1968年3月12日

bandai mokei jowhow 1982 03 01

1982年2月25日発行、模型情報1982年3月号にて、鉄人28号の絵が掲載された。この時は13歳の中学2年生だった。

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1982年12月25日発行、模型情報1983年1月号にて、ザブングルの旧式ホバギーとレッグをデフォルメにした絵が掲載された。この時は14歳の中学3年生だった。鳥山劣というペンネームの通り、人気漫画家の鳥山明の世界に馴染みそうな雰囲気にしている。

bandai mokei jowhow 1983 02 02

1983年1月25日発行、模型情報1983年2月号にて、ダンバインをデフォルメにした絵が掲載された。この時は14歳の中学3年生だった。

bandai mokei jowhow 1983 06 01

1983年5月25日発行、模型情報1983年6月号にて、幻魔大戦のベガをデフォルメにした絵が掲載された。この時は15歳の高校1年生だった。

bandai mokei jowhow 1983 07 02

1983年6月25日発行、模型情報1983年7月号にて、ザブングルのギャロップの上にザクの頭を描いた絵が掲載された。この時は15歳の高校1年生だった。

bandai mokei jowhow 1983 12 01

1983年12月1日発行、模型情報1983年12月号にて、メカニコングをデフォルメにした絵が掲載された。この時は15歳の高校1年生だった。

hobby japan 1983 01 01

横井孝二は、模型専門誌のホビージャパンにも絵を投稿していた。1982年12月25日発売、ホビージャパン1983年1月号にて、映画のキャラクターをデフォルメにした絵が掲載された。この時は14歳の中学3年生だった。
メモ 誌面には横井孝二の住所が記載されているが、現在は住宅は無い為、無加工で当ページに掲載した。

takara 3d journal no.3 01

横井孝二は、玩具メーカーのタカラにもさりげなく自己PRをしていた。1984年2月20日発行、デュアルマガジン別冊3Dジャーナル創刊2号にて、チョロQボトムズのプレゼントが行われた。横井孝二は葉書に絵を描いて応募した為、1984年4月20日発行、同誌第3号にて掲載された。応募時は15歳の高校1年生、掲載時は16歳の高校2年生だった。
メモ チョロQボトムズは、1984年3月に発売された。そしてチョロQゴーグは、1984年6月に発売された。
メモ 1984年1月20日発行、3Dジャーナル創刊号にて、しいばみつおと小出拓が描いたデフォルメのスコープドッグが掲載された。
メモ タカラが発行した3Dジャーナルは、バンダイが発行した模型情報から着想を得ていることが考えられる。
メモ 3Dジャーナルにて記載されている発行日は、発売日を意味している。


静岡県の子会社で発行された模型情報

静岡県にあった株式会社バンダイ模型は、1969年に倒産した今井科学株式会社の清水工場と金型を買い取り1971年5月に設立された、株式会社バンダイの子会社だった。

模型情報は、プラモデルのパッケージや組立説明書を制作していたバンダイ模型のデザイン課が発行した月刊情報誌で、同課にいた加藤智を編集長にしていた。
メモ 加藤智は、1975年にバンダイ模型に入社した。

bandai mokei jowhow 1983 04 01

1983年3月1日、バンダイ東京本社はバンダイ模型、バンダイ出版、ポピー、他4社を合併して、バンダイ模型はバンダイ静岡工場という名称になった。そして営業を担当していたバンダイ東京本社の模型部は、ホビー事業部という名称になった。

模型情報の誌面では編集部という呼称を記載していたが、1985年に安蒜利明が入社して模型情報に配属されるまでは、編集作業は加藤智1人で行っていた。ただしバンダイの社員か外注かは分からないが、取材や細かな作業で他にも関わった人がいたことが誌面の内容から分かる。模型情報の発行部数が多くなると、雑務担当として女性社員が1人配属された。そして安蒜利明が配属された時には女性社員は2名になっていて、編集部はパーテーションで仕切られた空間になっていた。安蒜利明が配属された1985年時は、東京の新宿にあったメディア事業部出版課も模型情報の編集部にしていた。
メモ 女性社員が2名になった件は、バンダイ静岡工場にいた外岡仁に問い合わせて情報を得た。
メモ 新宿のメディア事業部の件は、漫画家の北崎拓に問い合わせて情報を得た。

模型情報にて記載されている発行日は、発売予定日を意味していた。発行日に発売されたか、数日違いで発売されたことが考えられる。


模型情報=バンダイ静岡工場デザイン課が横井孝二を起用

横井孝二は、杉原昌子と同時期に、模型情報に起用された。

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1984年3月1日発行、模型情報1984年3月号にて、4コマ漫画の第1回目が掲載された。この時は15歳の高校1年生だった。
メモ 横井孝二が4コマ漫画で描いたデフォルメのRX-78ガンダム以前に模型情報に掲載されたデフォルメのRX-78ガンダムは、1982年9月25日発行、模型情報1982年10月号にて掲載された絵がある。描いた人は分からない。

bandai mokei jowhow 1984 03 04

4コマ漫画に描かれているダンバインは、極端なデフォルメになっている。模型情報1983年2月号と1984年3月号の間には、1983年7月9日に公開された短編アニメのチョロQダグラムがあり、さらに横井孝二がチョロQボトムズのプレゼントに応募した証拠が残っていた。この点から横井孝二チョロQダグラムから着想を得て、デフォルメのバランスを変化させたことが考えられる。
メモ 横井孝二に関連する記事では、どれも鳥山明からの影響があったことが記載されていて、違和感無く理解が出来る内容になっている。しかしデフォルメのバランスを変化させたきっかけについては時期から考えて、当ページでは鳥山明の件は外した。タカラはライバル企業だったこと、そしてバンダイはDr.スランプアラレちゃんのスポンサーだったこともあり、情報がコントロールされていないか気になる。横井孝二に問い合わせたが、返答は得られなかった。
メモ 創作物は、過去の創作物の積み重ねで成り立っている


チョロQダグラムは、場面ごとにデフォルメのバランスが異なる。その中で、上から押し潰した感じの絵が、横井孝二が4コマ漫画で描いたダンバインや後のSDガンダムの雰囲気に近い。チョロQダグラム設定画では普通のデフォルメになっているが、動画を担当したスタジオ・ライブの誰かが、上から押し潰した感じに描いてしまった。
メモ 該当場面の原画担当者は誰だったのか、スタジオ・ライブを経営する神志那弘志に問い合わせたが、返答は得られなかった。

模型情報を発行していたデザイン課はプラモデルのパッケージや組立説明書を制作していた関係で、横井孝二は早速ロボチェンマンの組立説明書の挿絵に起用された。挿絵のデフォルメのバランスは、模型情報1984年3月号に掲載されたダンバインの絵と同じ感じになっている。
メモ ロボチェンマン1984年7月から発売された。


バンダイのデフォルメロボット企画はロボチェンマンから始まった

1983年前期、東京本社のホビー事業部は、RX-78ガンダムをデフォルメにして商品にすることを企画会議にて提案した。機動戦士ガンダムのモビルスーツをデフォルメにして商品にすることは当時は冒険だったが、反対する意見は企画会議では無かった。この時に考案されたRX-78ガンダムは無難なデフォルメになっていて、商品化には進まなかった。
メモ ロボチェンマンの開発についての細かな状況は、1982年にバンダイ模型に入社して、現在は玩具企画会社のスタジオジンを経営する外岡仁に問い合わせて、情報を得た。

ホビー事業部の企画会議から数ヵ月後の1983年7月9日にアニメのチョロQダグラムが映画館で公開されて、同年10月頃にタカラからプルバックゼンマイを内蔵したフィギュアが発売された。この時期にホビー事業部の企画会議にて、チョロQダグラムに対抗するデフォルメ商品をプラモデルで発売することが決定した。バンダイ静岡工場の技術部開発課にいた外岡仁は、日本サンライズのロボットをチョロQダグラムを参考にして極端にデフォルメにして、さらにプルバックゼンマイを内蔵したロボチェンマンを企画した。1984年7月にウォーカーギャリアとバイファム、同年8月にエルガイム、同年9月にガンダムフルアーマータイプ、同年10月にザクIIを発売した。各キャラクターによりデフォルメのバランスは異なり、中でもガンダムフルアーマータイプはSDガンダムの第1号商品とも言える雰囲気になっている。
メモ 外岡仁はロボチェンマン、パロチェンマン、カワルドスーツを企画して、さらに全商品をデザインした。
メモ ロボチェンマンの組立説明書や模型情報にて、担当はホビー事業部と記載されている。ホビー事業部は東京本社で営業を担当していて、企画開発はバンダイ静岡工場の技術部開発課にて行われた。
メモ チョロQダグラムのフィギュアの発売日については、1983年11月20日に発行されたデュアルマガジン別冊3Dジャーナル創刊準備号にて発売済みになっていた為、10月頃に発売されたと判断した。
メモ 1984年4月、タカトクトイスが超時空要塞マクロスのバルキリーをデフォルメにして、プルバックゼンマイを内蔵したパロメカを発売した。企画段階の商品名はバルチョロになっていて、バンダイと同じくチョロQダグラムから着想を得ていることが考えられる。
メモ 1986年、ホビー事業部の担当でプルバックゼンマイを内蔵したあそボットシリーズが発売された。完成品フィギュアになっていて、ロボットはゼータガンダム、ダブルゼータガンダム、レイズナーが発売された。

bandai robochanman no.1 01

ロボチェンマンの組立説明書は、バンダイ静岡工場のデザイン課が作成した。模型情報を編集していた加藤智がいた部署だった関係で、最初の商品のウォーカーギャリアとバイファムの組立説明書にて、横井孝二が描いた絵が小さく掲載された。この時期に外岡仁は、加藤智からの紹介で横井孝二が描いた絵を数点と、横井孝二からの意見が記されたメモを見ていた。しかしロボチェンマンのデフォルメのバランスは、チョロQダグラムを参考にしつつ外岡仁の感覚で決定された。
メモ 横井孝二が描いた絵は銀色パッケージに同梱されている組立説明書にて掲載されて、白色パッケージには掲載されていない。銀色パッケージ → No.1 ウォーカーギャリア、No.2 バイファム、No.3 エルガイム、No.4 ビルバイン、No.5 ガンダムフルアーマータイプ、No.6 ザクII、No.7 トゥランファム、No.8 エルガイムマークII、白色パッケージ → No.9 カミーグ、No.10 カミーグガラット、No.11 ジャンブー、No.12 ジャンブーガラット、No.13 パティーグ、No.14 パティーグガラット、No.15 ガンダムマークII、No.16 ハイザック、No.17 チェンジロボ、No.18 リック・ディアス、No.19 Zガンダム、No.20 VS-1Sバルキリー。


バンダイの自販事業部が横井孝二を起用

スーパーディフォルメガンダムワールドを企画して、デザイナーとして横井孝二を起用したのは、自販事業部にて企画開発をしていた佐々野雅哉だった。
メモ 佐々野雅哉は、1981年にバンダイに入社した。
メモ 佐々野雅哉がスーパーディフォルメガンダムワールドを企画した時に勤務していた部署名が分からない。佐々野雅哉は自販事業部にいたことを言及していて、加藤智はベンダー事業部としていて、ガンダム神話は新規事業部販課としていて、混乱している。スーパーディフォルメガンダムワールドPART1の担当部署は特機事業部スーパーディフォルメガンダムワールドMARK-5は自販デビジョン、SDダンバインMARK2は新規事業部になっている。部署の名称はコロコロと変わったのだろうか。
求む 特機事業部とはどういった部署だったのか、そして自販デビジョンと新規事業部についても教えていただきたい (TдT)。メール投稿フォームは、PC画面の右側に

hobby japan 2012 05 02

佐々野雅哉が横井孝二にデザインを発注した時に、うじ虫のごとく増殖する小さなガンダムというイメージを伝えた為、横井孝二が描いた絵の中にうぢ虫ぐわんだむの文字がある。
メモ うぢ虫ぐわんだむの絵は、ホビージャパン2012年5月号にて掲載された。SDガンダム デザインワークスにも掲載されたが、うぢ虫ぐわんだむの文字は消去された。さらにSDガンダム デザインワークスは各モビルスーツの配置がホビージャパンとは異なる為、原画では各モビルスーツごとに紙が分けてあることが考えられる。両誌の記事を編集した栗原昌宏に問い合わせたが、返答は得られなかった。
メモ スーパーディフォルメガンダムワールドやその後のSDガンダムは関連書籍では2頭身キャラクターとして言及されているが、実際は2頭身ではないキャラクターのほうが多い。


佐々野雅哉が企画時にイメージしたうじ虫のごとく増殖する小さなガンダムは、チョロQダグラムから着想を得ていることが考えられる。
メモ ロボットがワイワイと登場する場面は、にせガンダムらしきキャラクターが描かれている。
メモ 佐々野雅哉は後に玩具第1事業部へ異動となり、タカラが発売した魔神英雄伝ワタルのプラクションに対抗する為、同じように組み立て式玩具になっている元祖SDガンダムを企画して、1988年12月に発売した。佐々野雅哉に問い合わせた時に、情報を得た。
メモ 1980年代のバンダイは、タカラの商品に似た商品をいくつも発売していた。

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1985年6月1日発行、模型情報1985年6月号にて、スーパーディフォルメガンダムワールドのサンプルが掲載された。横井孝二が描いた、上から押し潰した感じの表現がうまく造形されている。
メモ 同ページにて、特機事業部が担当したディフォルメZガンダムPART1と、ホビー事業部が担当したロボチェンマンの新商品も掲載された。


スーパーディフォルメガンダムワールドの最初の16体は、1985年8月に発売された。この時の横井孝二は、17歳の高校3年生だった。

横井孝二は、その後も様々なSDガンダムの企画に関わった。
メモ SDガンダムには多数の人が関わって、デフォルメのバランスが異なる様々な立体物が発売された。


SDガンダムに関しての奇妙な話 PART 1

ホビージャパン2012年5月号にて横井孝二のことをSDガンダムの生みの親と記載していて、違和感がある。本件で生みの親という言葉を使うと、極端なデフォルメの発案者、商品の開発者、商品名の発案者という意味まで含んでしまう。
メモ インターネットではホビージャパン2012年5月号以前から、横井孝二のことをSDガンダムの生みの親とする発言が見られた。
  1. 1983年7月、チョロQダグラムが映画館で公開された。
  2. 1983年10月頃、タカラからチョロQダグラムの完成品フィギュアが発売された。
  3. 1984年7月、バンダイのホビー事業部からロボチェンマンのウォーカーギャリアとバイファムが発売された。プラモデルタイプの玩具になっている。
  4. 1984年8月ロボチェンマンのエルガイムが発売された。
  5. 1984年9月ロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプが発売された。
  6. 1984年10月、バンダイの特機事業部からガシャポンの重戦機エルガイムが発売された。ミニサイズのプラモデルになっている。エルガイムのデフォルメのバランスは、ロボチェンマンのエルガイムに似ている。佐々野雅哉が企画した。
  7. 1985年5月、特機事業部からガシャポンのディフォルメヒーローシリーズ超時空要塞マクロスが発売された。ミニサイズのプラモデルになっている。バイファムとビルバインのデフォルメのバランスは、ロボチェンマンのバイファムとビルバインに似ている。
  8. 1985年7月、特機事業部からガシャポンのディフォルメZガンダムPART1が発売された。ミニサイズのプラモデルになっている。ガンダムMk-IIのデフォルメのバランスは、ロボチェンマンのガンダムマークIIに似ている。
  9. 1985年8月、特機事業部からガシャポンのスーパーディフォルメガンダムワールドPART1が発売された。塩化ビニールの塊になっている。丸っこさを表現する為に、ロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプの脚を短くしたようなデフォルメになっている。
こうした経緯があった為、SDガンダムの生みの親として1人を指定してしまうと、手柄を独り占めしている印象を与えてしまう。

外岡仁は、チョロQダグラムを参考にしてロボチェンマンをデザインした。そして横井孝二チョロQダグラムの公開後にデフォルメのバランスを変化させて、さらにチョロQロボのプレゼントに応募した証拠が残っていた。この点から、SDガンダムの極端なデフォルメの起源はチョロQダグラムにある、ということになる。


SDガンダムに関しての奇妙な話 PART 2

ガンダム神話にてSDガンダムの誕生について記載されているが、状況の説明が足りない為に誤解を与える内容になっている。 ところで、佐々野雅哉の上司がガンダムに対する冒涜だと発言した件と、うぢ虫ぐわんだむの文字が原因で創通エージェンシーの担当者がキャラクターをバカにしていると怒った件は、話を面白くする為にコミカルに誇張した雰囲気を感じる。
メモ 佐々野雅哉に問い合わせたが、返答は得られなかった。
メモ 重戦機エルガイム第2弾ディフォルメヒーローシリーズ、超時空要塞マクロス、ディフォルメZガンダムPART1のガシャポン機用ディスプレイに掲載されている絵は、横井孝二が描いた。


SDガンダムに関しての奇妙な話 PART 3

スーパーディフォルメガンダムワールド1985年8月に発売されたが、インターネットの各ウェブや俺たちのガンダム・ビジネスでは、何故か1985年6月に発売されたことになっている。

誤情報の原因は、ウィキペディアのSDガンダムのページが考えられる。2004年2月9日にウィキペディアを更新した人は、模型情報1985年6月号にてスーパーディフォルメガンダムワールドのサンプルが掲載されたことを誤解して、ウィキペディアに6月に発売と記載したことが考えられる。さらに2015年6月、横井孝二によってツイッター内で誤情報が拡散した。
メモ 横井孝二に問い合わせたが、返答は得られなかった。

バンダイは、SDガンダム30周年記念商品を2015年7月中旬に発売した。しかし30年前の1985年7月に発売されたのは、ディフォルメZガンダムPART1だった。

バンダイが主催したGUNPLA展では1987年に発売という誤表示があったこともあり、本件はバンダイに報告した。
メモ バンダイに問い合わせて、品番0704553、スーパーディフォルメガンダムワールドPART1の出荷日が記載された資料は無いとの情報を得た。


SDガンダムに関しての奇妙な話 PART 4

コミックボンボンにて爆笑戦士!SDガンダムを連載した佐藤元が、SDガンダムの起源は自身が描いた作品にあることを言及したが、誤解している。

1983年12月20日発行、デュアルマガジン第7号1984年WINTERから、1984年9月20日発行、同誌第10号1984年AUTUMNまで、佐藤元が描いたQロボゴーグちゃんが連載された。アニメの巨神ゴーグは、放送開始が1983年10月から1984年4月に変更になった経緯があったが、Qロボゴーグちゃんは巨神ゴーグの放送前に発表された。
メモ アニメの巨神ゴーグは、放送前に試写会が行われた。

佐藤元のツイッターにて、SDの起源としてQロボゴーグがあるはず、さらに、QロボゴーグはSDガンダムの元、との言及がされたが、バンダイのデフォルメ企画はチョロQダグラムがあったことで始動していた。
メモ 上↑のロボチェンマンの項目と、SDガンダムに関しての奇妙な話PART1の項目を参照。
  1. 1983年7月、チョロQダグラムが映画館で公開された。
  2. 1983年10月頃、タカラからチョロQダグラムの完成品フィギュアが発売された。
  3. 1983年12月、デュアルマガジン第7号1984年WINTERが発売されて、漫画のQロボゴーグちゃんが連載を開始した。Qロボゴーグは膝の可動を考えてデザインしたのか、足が長い特徴がある。
  4. 1984年1月、デュアルマカジン別冊3Dジャーナル創刊号が発売されて、漫画のドリスちゃんのカルチャークラブが連載を開始した。第1回目には、Qロボゴーグが描かれている。
  5. 1984年4月コミックボンボン1984年5月号が発売されて、漫画のロボロボカンパニーが連載を開始した。第1話には、Qロボゴーグとザクが描かれている。
  6. 1984年6月、タカラからQロボゴーグの完成品フィギュアが1種類、プラモデルが1種類発売された。
  7. 1984年7月、タカラからQロボゴーグのプラモデルが3種類発売された。
  8. 1984年7月、バンダイからロボチェンマンのウォーカーギャリアとバイファムが発売された。
  9. 1984年9月、バンダイからロボチェンマンのガンダムフルアーマータイプが発売された。SDガンダムに近い雰囲気がある。
  10. 1985年8月、バンダイからガシャポンのスーパーディフォルメガンダムワールドPART1が発売された。丸っこさを表現する為に、脚はほとんど無いか、全く無い。
ところで佐藤元のツイッターにて、チョロQダグラムを起点に考える人が多すぎて困る、企画はQロボが先との言及がされたが、もしQロボゴーグがチョロQダグラムよりもちょっと前に企画されていても、公開していない期間は他社や大衆には影響を与えていない。
メモ Qロボは、チョロQロボとは関連は無い。さらに1984年にはデフォルメ戦闘機がロボットに変形するチョロボという商品も発売されていて、紛らわしい。
メモ チョロQロボの企画は、佐藤元は関わっていない。部署が異なった為に佐藤元にはチョロQロボの情報は入らなかったが、企画のスタート時期だけは分かっていたらしい。
メモ Qロボゴーグの商品パッケージに掲載されている絵は、佐藤元が描いた
メモ 巨大ロボットをデフォルメにして人格を持たせた作品は、Qロボゴーグが最初ではない
メモ 巨神ゴーグの放送開始に合わせて、テレビマガジン1984年5月号にて、 とや邦行ほしの竜一が描いた漫画、ポケポケQロボが連載を開始した。登場する日本サンライズのロボットの表情は、成井紀郎または真樹村正から着想を得ていることが考えられる。
メモ デュアルマガジンは、第12号で廃刊になった。

kodansha comic bombom 1984 05 01

1984年4月14日発売コミックボンボン1984年5月号から、1986年1月15日発売、同誌1986年2月号まで、佐藤元が描いたロボロボカンパニーが連載された。佐藤元のウェブページにて、コミックボンボン25周年記念番組にて、この漫画がガンダムを一番最初にデフォルメしたと認めているとの記載がされたが、模型情報1984年3月号にて掲載された、横井孝二が描いた4コマ漫画のほうが早く発表されている。さらにもっと古い作品として、テレビマガジン1979年6月号にて掲載された、成井紀郎が描いたRX-78ガンダムがある。


巨大な人型ロボットをデフォルメにアレンジした作品

アニメのチョロQダグラムにてダグラムが伸びたり縮んだりする演出は、1982年8月7日に放送された逆転イッパツマンの第26話から着想を得ていることが考えられる。


逆転王のボディは、極端なデフォルメになっている。

テレビマガジン1979年6月号にて、成井紀郎が描いたRX-78ガンダムが掲載された。成井紀郎はテレビマガジンで活躍していた漫画家で、1977年5月号から12月号まで連載したゴーゴー悟空や、1977年2月号の表紙1977年7月号1978年2月号等、多くのデフォルメロボットを描いた。
メモ テレビマガジン1979年5月号は、RX-78ガンダムの顔が掲載されている。
メモ 成井紀郎が描いたデフォルメロボットの大胆な口の表現は、真樹村正が同誌1975年7月号から連載を開始したジャンジャジャ〜ン ボスボロットだいから着想を得ていることが考えられる。

セイカノートが発売したスーパーロボット レッドバロンのかるたにて、デフォルメロボットが描かれている。
メモ 発売日が不明な為、セイカを合併したサンスター文具に問い合わせたが、資料は残っていないとの情報を得た。スーパーロボット レッドバロンは、1973年に放映された。

三ツ葉電機製作所が1966年に発売したミツバの鉄人28号ランプは、デフォルメになっている。
メモ ミツバに問い合わせて、ミツバの鉄人28号ランプCL-1型が1966年に発売された情報を得た。